「あけましておめでとうございます。」
隣りにいる友人は鈴やかな声で年始の言葉を繰り返す。
その傍らには昨年からお付き合いすることになった、私の幼馴染みの姿。
こういう時、世間一般の彼氏を持つ彼女
が羨ましくなる。
（キリヤくんは、きっと初詣りなんてしない。）
そもそも私と彼はそういう間柄ですらない。
偶然一緒にいることが多いだけの友人。…友人というカテゴリーが適切かなんて分からないけど。
彼を想うと心が千切れそうになる。温かな気持ちも擦り切れてギスギスになった気持ちも同居していて、訳が分からない。
そう、今も。
（会いたい…。）
願うことはただ一つ。
（すごく、会いたい…。）
神の社の前に立つ。拝礼ふたつ、柏手ふたつ。清んだ願いは天に届くはず。
瞼を閉じて彼を思い浮かべる。
きっと届くと信じて。

自分勝手な想いを供物に捧げた。

高校に入学する頃にはこの世界に存在していなかった彼は、ある時ふと戻ってきた。
何でもないことのように、編入試験を再受験し、高校１年生から再びベローネ学園の校門をくぐり始める。
久方ぶりの再会にどれ程驚いただろう。
そして、その時から私は心に薄暗いところを持つようになった。
何故、戻ってきたのか。
何故、戻ってくるのなら知らせてくれなかったのか。
疑問は焦燥に変わり、彼の姿が目に飛び込むたび、心臓がちくりと痛む。
この気持ちは何か、薄々感づいてはいるが、認めたくはなかった。
知られたら、離れて行ってしまうかも、という不安もあるが、一番怖いのはこの関係が壊れてしまうこと。
拒否されたらどうしようという不安が首をもたげ、これ以上前に進むことはできなかった。

「しっかしあっついねぇ。」
ソフトクリームを舐めながら、親友の美墨なぎさはそう言った。
ラクロス部でエースの座に君臨する彼女は、スポーツウーマンらしく、小麦色の肌をしている。
往年の想い人と恋人同士となった彼女だが、相変わらず凛として格好よかった。
「そうね、今度のプールが楽しみね。」
今年こそは彼女のかなづちが返上できるよう、週に１回のプール通いを約束している。
本当は彼女の恋人であり、私の幼なじみでもある藤村省吾も誘おうと言っていたのだが、なぎさがみっともない姿を見られるのを嫌って、２人だけで行くことになった。
藤村くんが、そのことを非常に残念に思っているのは知っている。しかし、親友を奪われがちな現状に、譲る気持ちは微塵も浮かばなかった。
きらきらと陽光が落ちてくる。
つい先日会った彼のことを思い出し、熱が上った。ふとした時に感じる彼の視線に、誤解をしそうになる。
(きっとキリヤくんは何とも思ってない。)
偶然出会う以外には全く顔を見せない彼に、苛立ちが募る。
「……ばか……。」
小さく吐き出す。それを聞き咎めた親友が振り返る。
「え？何か言った～？」
「ううん、なんでもない。」
ゆるく頸を振り、雑念を追い払う。丁寧に手入れをした黒髪が流れ落ち、視界を塞いだ。

自宅にある私のお城にたどり着くと、大きく息を吐いた。ベッドに躯を投げ出し、顔を腕で覆う。
頭に浮かぶのはどうしても消えない彼の顔。先日偶然出会った際に、日にあたる私を気遣い、自ら日陰を作ってくれた。
彼は優しい。
自分ではぶっきらぼうのつもりらしいが、私が困っている時には必ず手を差し延べてくれる。
それが私の心をどれほど掻き乱しているかは想像すらしていないだろう。
にこりともしない彼の表情をどれだけ愛しく想っているかも。
彼の顔を思い出すだけで躯がゆるく熱を放つ。きっと今の私は真っ赤な顔をしている。
なんとか思考を明瞭にしようと、私は大きく息を吐いた。深く深く息を吐く。何度か続けていると、段々頭が冷えてくる。
それでも、このまま現状を維持するだけでよいのか、と不安が泡のように浮かんでは消える。
その混乱した自分に蓋をしようと私は眼をしっかりと閉じた。


この想いは、静かに私を焦がし続ける。


fin.

続くこともあるかもしれない……。

「暑いわね。」
とてもそうは思えないほど涼やかな所作で帽子を頭に被せながら、彼女は言った。
白い肌には汗の滲む様子はない。
いつも一緒にいる親友とはずいぶん違う。
「そうですね、日差しがずいぶん眩しいですね。」
彼女にあわせてそう言うと、なぜかキツイ視線が返ってきた。
「暑そうには全然見えないわ。」
「…その台詞そっくりお返ししますよ。」
最近では軽口の応酬もするようになり、以前とはまた違う関係を構築しつつある。
できればこのままずっと側に、という思いがないわけではないが、我が事ながら、
自分が光の国の住人と同じく成長していけるのか不明んため、これ以上近づくこと
ができない。
そんな様子を見て彼女は「心配性ね。」と苦笑いするのが常だ。
「夏がこんなに暑いなんて、以前は思わなかったな。」
そもそも僕達がドツグゾーン以外の世界に行くのは破壊と蹂躙のため。寒々とした
景色は見慣れても、その世界の環境に思考を奪われることなどなかった。
「キリヤくん。」
声のした方に目をやると、不安気に瞳を揺らす彼女がいた。
「大丈夫ですよ、昔のことです。」
漏れた心情が昔を思い起こさせたのだろう。彼女は自分の台詞にふるふると頭を
振った。
「お願いだから、ここにいてね？」
袖を緩く掴み、じっと僕を見つめる。
これ以上は駄目だ、と思考の隅で考えるが、濡れた瞳に抵抗できず、握られた袖
をゆっくりと引き、彼女の肢体を抱き寄せた。
「…貴女が許す限りここにいますよ。」
じわじわと伝わる体温が己を侵食する。
本当にこの人には敵わない。
腕の中に収まった女性の射干玉の髪に口付けた。

fin.

ゆれる提灯。
ざわめく人達。
夕刻になり、多少暑さが緩んだとは言え、これほどの人が集う理由が分からず、キリヤはふうと溜息をついた。
屋台から聴こえる呼び込みの声や、楽しそうな笑い声が理解できない。これだけ人が集まれば、自然と熱気が増し、苦しくなると思う。それなのに何故、みんな楽しそうなのだろう。
「だって、お祭りだもの。」
隣にいる艶やかな黒髪彼女はにっこり笑ってそう言った。
藍の深い色に染められた浴衣を着て、下駄をひっかけ、団扇でゆるく顔をあおぐ。その様は十分見とれるもので。
そこだけは夏祭りもいいかもしれない、と思えた。
そうは言ってもだんだん篭る熱に対処出来なくなる。喉が渇き、頭はくらくらしてきた。
「ほのかさん、ちょっと…。」
我慢出来なくなり、彼女の袖をひいて屋台裏に抜け出す。表通りの喧騒が嘘のようになくなり、夜の暗闇と静けさがそこにはあった。
側にあった燈籠の足元にへたりこむ。情けないが人酔いしたらしい。
「大丈夫？お水でも買ってきましょうか？」
頭上から降る声にゆるく首を振って答える。
その様子に彼女はますます不安に駆られたようだ。踵を返して喧騒に戻ろうとした。
「ちょっと待ってて、すぐだから。」
離れる気配に言いようのない寂しさを感じ、腕を伸ばした。
細い手首を掴み、腕を強くひく。バランスを崩した肢体を絡げとり、自分の腕の中に押し込んだ。
「キリヤくん…！」
自分から逃れようともがく彼女をギュッと抱きしめ、結い上げられた髪と、襟足に残る後れ毛に触れた。
指に感じられる髪は艶やかで、この髪を解き、口づけたい焦燥に駆られる。そんなことをすれば、彼女が怒り狂うのは必至で、そんな事態だけは避けたいと思い、名残惜しくなりつつも、彼女を腕から解放した。
離れた躯の隙間から、ヒンヤリとした空気が入ってくる。何故か肌寒く感じた途端、今度は彼女の方から躯を擦り寄せてきた。
青天の霹靂とはこのこと。
めったに見せない彼女の甘えた仕種に頭はますますクラクラした。
白い項が目に入る。
我慢できずにそこに唇を落とした。

たまには夏祭りも悪くない。